第7回 都市の住まいと分布(2)
新宿から中央線を中野、高円寺、阿佐ヶ谷へと進む。このあたりから、駅周辺の多様な用途の地域は、より狭い範囲に限定されてくる。中野や高円寺を見ると、たかだか半径500m程度で商店街が途切れ、駅前に連続して建つ中高層の建物もまばらになる。
中高層の建物のつらなる駅前通りから路地に入ると、すぐ裏手の街区は低層の店舗、事業用の併用住宅あるいは専用の住宅が混在するまち並みに変わる。そして、さらに奥の街区は専用の低層住宅が建ち並ぶ住宅地になる。
戸建住宅が集積して、専用の低層住宅に特化した地域をしばしば見かける。

都市住宅と宅地開発――永福町
東京は、「坂のまち」といわれる。都心周辺区で顕著なのだが、市街地が中高層の建物に覆われために、地形が分かりにくくなっている。
この高台に低層住宅による(今では、少なくなったが)住宅地が形成されていた。例えば、赤坂、青山、本郷、西片、白山、小石川、目白などがそれである。いわゆる、「山の手」である。
かつてのこの「山の手」も、近年では、中高層マンションが参入し、住まいの形式は多様になっている。オフィスやマンションが混在し、用途が多様化したところもある。
江戸時代に旗本屋敷、御家人組屋敷や藩邸があった高台の土地が、明治以降、住宅地になった。
この低層の住宅の集積した「山の手」は、特に戦後になって、江戸時代の市街地とは関係なく、時とともに遷移し、場所を変えた。
「下町」が京橋、日本橋、浅草と北上し、深川、本所、亀戸へと東方に伸展し拡大したのに対して、「山の手」は文京区から南下し、渋谷区、目黒区、世田谷区に移った。そして、現在の「山の手」は、多摩丘陵という人もいる。
専用住宅の集積地と「下町」を構成する併用住宅の集積地のでき方には根本的に差があると思われる。
「下町」では、家内で財を生産しあるいは販売し、取引が狭い地域で連鎖的に繋がる。いわば、地域的な経済リンケージができている。このため、増殖するように隣接して建物が造られ、市街地が拡大していくといえる。
これに対して、専用住宅の集積地である住宅地の形成は、就業の場所と分離することで住まいの需要が発生することに依存する。例えば、明治以降、近代的な生産、商業、物流等2次、3次産業の拡大により、「役人」以外の給与所得者が大量に生まれ、住宅あるいは宅地が一般市場で需要として顕在化したといってよいであろう。
戦前、借家が多かったといわれるのは、庭先の住宅を貸すということが多かったという事かもしれない。
住宅の需要が見込まれると、宅地の供給を業として営むものが現れる。
明治維新後、荒廃し、茶畑や桑畑などに変わった高台の土地に数区画の宅地を造り、住宅を建てる。敷地の大きな屋敷跡には、規模の大きい宅地が造成され、住宅地ができる。この繰り返しが「山の手」を創っていったのであろう。
高台の造成は土を切り、谷を埋める土木工事となる。道路の取り付けも複雑である。資本の投下が必要となる。
しだいに規模の大きな資本が参入し、例えば田園調布、成城学園、国立、常盤台、国府台などの郊外に新興住宅地が形成された。
1960年代以降の住宅公団や電鉄系などのニュータウンはその系譜といえよう。
一方、杉並区、世田谷区、目黒区の武蔵野に広がる田地、畑地、雑木林には、関東大震災以降、いくつもの耕地整理、区画整理事業が行われている(注1)。これが東京近郊の住宅地の原型を創ったといってよい。
計画的にあるいは計画的とはいわないまでも、住宅を集積させるために造成されたひとまとまりの宅地は、その開発の規模のよらず、当初の目的である住宅用の土地利用として持続して使われる傾向にあるようだ。
丸の内のオフィス街あるいは新宿の超高層ビル街は、オフィス機能に特化した用途であり、土地利用は変化しにくい。同様に、「創られた」住宅地は、比較的他の用途に変わりにくい。
多様な用途の街区に変化するには、その立地条件が他の機能をひきつける環境や参入者の価値判断にもよる。また、時間もかかるであろう。
1945年以降の東京の住宅地の変貌は驚異的である。
近郊地帯で田や畑が数反単位で宅地に変わり、低層の住宅が建てられた。
一方、都心周辺区の多様な用途の混在した地域でも、比較的大きな空地があれば、マンションが建てられる。あるいは、数区画のミニ宅地分譲が行われた。
特に、1972年の工業再配置促進法(注2)によって工場移転をした跡地には、マンション、戸建住宅や商業施設などが建てられた。
しかし、1980年代に入って、用途の混在地域での住宅地の造られかたが少し変わってきたように思われる。
それは、コンピューターや情報機器の進化に伴い、あらゆる産業の生産の仕組みが簡略化され、生産ラインや物流がコンパクト化されたことによると考えてよい。同時に流通の仕組みも大きく変わった。
簡素化され、コンパクトになった生産システムや物流が、従来のような大規模な土地や工場を必要としなくなり、ある部分は転業し、ある部分は土地の遊休化を生むことになった。
その結果、遊休化した土地に宅地開発がなされ、住宅地が造られることになる。「下町」のかつての経済リンケージは崩され、多様な用途の建物や併用住宅の混在地域に、割り込むように、戸建住宅や中高層マンションの住宅地が形成されてきた。改めて「下町」の経済リンケージが再生されることになる。
一方、臨海部の大規模な工場跡地や埋立地の場合には、再開発事業として住宅を含め多様な用途を抱えた新たな街に生まれ変わろうとしている。
今、多様な用途が混在した、コンパクトでかつより高密な都市が創られている。同時に、新たな都市住宅の姿が求められている。
永年培われてきた土地利用とコミュニティの中に割り込むように、新たに住まいを求める参入者が現れる。しばらくして参入者はその地域に同化していく。
東京都市圏の住宅の分布を概観すると、それぞれの地域によって住宅地のでき方が異なる、ということが理解できるものと思う。また、地域によって、その住宅地の性格は異なり、多様な住まいの形式が想像できるであろう。
都市住宅の地域性と考えてよい。
(注1)越沢明(1991)「東京都市計画物語」日本経済評論社
(注2)2006年廃止された
2006年10月12日更新

1948年生。83年4月株式会社ミサワホーム総合研究所入社。
(株)ミサワホーム総合研究所、(財)住宅都市工学研究所で
「まちづくり・住まいづくり」の調査・研究開発を行う。
同時に、ミサワホーム株式会社、ミサワシティ(株)等関連会社と
併任・兼務し、都市開発、区画整理、再開発等の事業プロジェクトを
推進、事業プロジェクト、まちづくり、医療・介護施設等の企画を行う。
現在、株式会社ミサワホーム総合研究所 理事。
東京大学都市工学科大学院博士課程修了。工学博士。一級建築士。
【趣味】 自然観照、散歩、読書。

